音楽を聴いていると「アシッドジャズ」という言葉を耳にすることがありませんか。
名前は聞いたことがあるけれど、アシッドジャズとは具体的にどのような音楽なのか、その歴史や由来、特徴について詳しくは知らない、という方も多いかもしれませんね。
また、似たようなジャンルであるジャズファンクとの違いがよくわからなかったり、日本での流行や渋谷系との関係、さらには90年代のファッションについても気になるところです。
一部では「ダサい」といった声も聞かれますが、本当にそうなのでしょうか。
この記事では、アシッドジャズの基本的な定義から、代表的なアーティストやおすすめの名盤、定番曲、そして現代における再評価まで、その魅力の全体像を掘り下げていきたいと考えています。
- アシッドジャズの定義と音楽的な特徴
- ジャンル誕生の歴史と「御三家」と呼ばれるアーティスト
- 初心者でも聴きやすい名盤やおすすめの定番曲
- 日本(渋谷系)やファッションへの影響と現代の評価
そもそもアシッドジャズとは?

まずは「アシッドジャズ」というジャンルがどのようなものなのか、その基本的な定義や音楽的な特徴、そして誕生の背景について見ていきましょう。
他のジャンルとの違いや、シーンを代表するアーティストについても解説します。
アシッドジャズとは何か?
「アシッドジャズ」と聞くと、伝統的なジャズの一形態、例えばビバップやスウィングのような演奏スタイルを想像するかもしれません。
しかし、アシッドジャズの本質はそこにはない、というのが私の理解です。
これは1980年代後半の英国ロンドンで生まれた、DJカルチャーとクラブシーンを母体とした「ムーブメント」であり、特定の音楽を選び出す「キュレーション(選別)の美学」そのものを指す言葉だと考えられます。
このジャンルにおける「ジャズ」という言葉は、従来の奏法や理論を指すのではなく、
- ジャズの洗練性
テンション・ノートを使ったお洒落なコード進行 - ジャズ・ファンクのグルーヴ
70年代の「踊れる」要素 - ジャズ・レコードという素材
過去の音源のサンプリング・ソースとしての価値
これら3つの要素を包含している、と解釈するのがわかりやすいですね。
本質的には、「DJがダンスフロアを盛り上げるために、過去のレコードライブラリからジャズ、ファンク、ソウルの『美味しい部分』を選び出し、ヒップホップ的な手法で再構築した」音楽。
その「選別眼」こそがアシッドジャズの核心と言えそうです。
誕生の歴史と由来
アシッドジャズは、1980年代後半のロンドンで産声を上げました。
当時、英国では「アシッドハウス」という電子音楽がブームとなり、「セカンド・サマー・オブ・ラブ」と呼ばれる大規模なレイヴ・カルチャーが席巻していました。
「アシッドジャズ」という名称は、この「アシッドハウス」へのカウンター(対抗)として、ユーモアと皮肉を込めて命名されたものです。
ドラッギーで反復的なシンセサウンドに対し、一部のDJたちは、もっとオーガニックでソウルフル、グルーヴィーな生演奏のダンスミュージックを求めていました。
彼らが掘り起こしたのが、70年代のジャズ・ファンクやレア・グルーヴだったわけです。
このジャンルの「名付け親」とされる最重要人物が、DJのジャイルス・ピーターソンです。
彼がロンドンのクラブ「Dingwalls」で開催していたイベントがムーブメントの震源地となりました。
逸話として、彼がレアなジャズ・ファンクをかけながら「これが俺たちの "Acid Jazz" だ!」と宣言した、という話が有名ですね。
1990年に彼が設立したレーベル「Talkin' Loud」は、インコグニートやジャミロクワイの原型、そして日本のU.F.O.といった重要アーティストと契約し、単なるクラブ・ムーブメントだったアシッドジャズを世界的な「ジャンル」として確立させました。
ジャズファンクとの違い
アシッドジャズを語る上で、よく混同されるジャンルとの違いを整理しておくと理解が深まりますね。
- ジャズファンク (Jazz Funk)
1970年代が全盛期。ロイ・エアーズやハービー・ハンコックに代表されます。これは、アシッドジャズが「元ネタ(サンプリングソース)」としてリスペクトし、リバイバルさせた対象そのものです。 - フュージョン (Fusion)
1970年代〜80年代。ジャズとロックの融合。テクニカルな演奏(早弾きや変拍子)に重きが置かれることが多く、ダンスフロアのグルーヴからは離れがちだった側面があります。 - アシッドジャズ (Acid Jazz)
1990年代。ジャズファンクのリバイバルに、ヒップホップ(サンプリング、ビート)の要素を加えたもの。フュージョンのような「難解さ」を排し、「ダンスフロアでの機能性(グルーヴ)」を最優先した点が大きな違いと言えるでしょう。
80年代の電子音楽が主流だった時代に、再び「生演奏のグルーヴ」の価値を掘り起こしたのがアシッドジャズの歴史的な役割だったと考えられます。
サウンドの主な特徴
アシッドジャズのサウンドは、いくつかの要素がハイブリッドに組み合わさって成立しています。
4つの柱:ジャズ、ファンク、ソウル、ヒップホップ
- ジャズ (Jazz)
洗練されたハーモニー(コード進行)や、フルート、キーボードによる即興的なソロ。 - ファンク (Funk)
音楽の屋台骨。「踊れる」要素の根幹であり、タイトな16ビートのドラムや反復するベースライン。 - ソウル (Soul)
70年代ソウルミュージックの影響。メロディアスなボーカル、温かみのあるローズ・ピアノ、華やかなホーンやストリングス。 - ヒップホップ (Hip Hop)
最も重要な「手法」としての影響。古いレコードからビートやフレーズを抜き出す「サンプリング」と、それをループさせる「ブレイクビーツ」の概念。
生演奏とサンプリングの共存
アシッドジャズの面白い点は、DJによるサンプリング・ミュージックと、バンドによる生演奏という、異なるアプローチが共存し、相互に影響を与えた点です。
Us3の「Cantaloop (Flip Fantasia)」のように、ジャズの名曲をサンプリングしてヒップホップのビートに乗せるDJ的なアプローチ。
一方で、インコグニートやジャミロクワイのように、DJが作るタイトな反復グルーヴのかっこよさを、あえて人間のバンド演奏で再現しようと試みるアプローチ。
この両輪がムーブメントを形成していました。
典型的な楽器編成
サウンドはファンクやソウルの楽器編成がベースになっていますね。
ドラム、ベース、ギター、ローズ・ピアノやハモンドオルガンといったリズムセクションを核に、ソウル/ファンク由来の華やかな「ホーン・セクション」(トランペット、トロンボーン、サックス)、そしてジャズのテイストを加え、多くの曲で印象的に使われる「フルート」が加わるのが典型的な編成です。
代表的なアーティスト「御三家」
アシッドジャズ・シーンから世界的な成功を収め、ジャンルの音楽性を定義づけた3つのバンドは、通称「アシッドジャズ御三家」と呼ばれています。
Jamiroquai (ジャミロクワイ)
フロントマン、ジェイ・ケイの強烈なカリスマ性で、アシッドジャズをアンダーグラウンドから世界的なメインストリームに引き上げた最大の功労者です。
スティーヴィー・ワンダーからの影響を感じさせるボーカルと、70年代ファンクへの強い回帰を感じさせるグルーヴが特徴ですね。
「Virtual Insanity」の世界的ヒットは記憶に新しいところです。
Incognito (インコグニート)
ギタリストのジャン=ポール“ブルーイ”モニックが率いる大編成の音楽コレクティヴ(共同体)です。
DJカルチャー発のシーンにおいて、「生演奏」と「高度な音楽的アンサンブル」の価値を最高レベルで提示し続けた重鎮的存在と言えます。
洗練されたアレンジと、メイサ・リークに代表される実力派ソウルシンガーの起用が特徴です。
The Brand New Heavies (ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ)
御三家の中で最も「オーセンティックな70年代ファンク」のグルーヴを追求したバンドです。
DJたちがサンプリングで使っていたような、タイトで骨太な生のファンク・サウンドを90年代に蘇らせました。
本場USのR&Bやヒップホップ・アーティストとも交流し、影響を与えた点も重要ですね。
これら御三家は、アシッドジャズが持つ「ポップ性」(ジャミロクワイ)、「ソウル/洗練性」(インコグニート)、「ファンク/グルーヴ」(ブラン・ニュー・ヘヴィーズ)という3つの側面を、それぞれが見事に体現した存在だと考えられます。
アシッドジャズのおすすめと影響

アシッドジャズの概要が掴めたところで、次はいよいよ具体的な「おすすめ」をご紹介します。
まずはここから聴いてほしい名盤や定番曲、そして日本やファッションといった文化的な影響についても掘り下げていきます。
まず聴くべき名盤アルバム
アシッドジャズの世界に本格的に触れるなら、まずはジャンルを定義したこれらのアルバムから入るのがおすすめです。
ムーブメントの核心と初期衝動が詰まっています。
- Jamiroquai 『Emergency on Planet Earth』 (1993)
デビュー作にして、シーンのエネルギーが凝縮された一枚。生々しいファンク・グルーヴと社会的なリリックが融合しています。 - Incognito 『Tribes, Vibes and Scribes』 (1992)
スティーヴィー・ワンダーのカバー「Don't You Worry 'bout a Thing」を収録。UKソウルの洗練性が極まった代表作です。 - The Brand New Heavies 『The Brand New Heavies』 (1990)
ロンドンのクラブシーンの生々しい熱気を伝える、オーセンティック・ファンクの教科書のようなアルバムです。 - Us3 『Hand on the Torch』 (1993)
名門ブルーノート・レコードの公式サンプリング許可を得た画期的な作品。「Cantaloop (Flip Fantasia)」を収録し、ジャズとヒップホップの融合を最もわかりやすく提示しました。 - Galliano 『In Pursuit of the 13th Note』 (1991)
ジャイルス・ピーターソンが見出したグループ。ポエトリー・リーディングやスピリチュアル・ジャズに近い、アシッドジャズの「深さ」を象徴する一枚です。
おすすめの聴きやすい定番曲
アルバムを丸ごと聴くのは少しハードルが高い、という方には、まず耳なじみの良い定番曲から入るのが良いですね。
カフェやラウンジで耳にしたことがある曲も多いかもしれません。
- Jamiroquai 「Virtual Insanity」
もはやアシッドジャズの枠を超えた90年代を象徴するポップ・アンセム。メロディの美しさと独創的なMVで、完璧なエントリーポイントです。 - Incognito 「Don't You Worry 'bout a Thing」
スティーヴィー・ワンダーのカバー。華やかなホーンと力強いボーカルで、アシッドジャズの「美味しい部分」が凝縮されています。 - The Brand New Heavies 「Never Stop」
イントロのギターカッティングから高揚感があふれる、最もポジティブなファンク・チューンの一つ。アシッドジャズの「多幸感」を体現しています。 - Us3 「Cantaloop (Flip Fantasia)」
ハービー・ハンコックの「Cantaloupe Island」をサンプリング。キャッチーなトランペットのフレーズと心地よいビートが融合した、ラウンジ・ミュージックの定番です。
日本と渋谷系への影響
1990年代初頭、英国のムーブメントとほぼ時を同じくして、日本(特に東京)のクラブシーンでもアシッドジャズは熱狂的に受容されました。
日本からも世界的に評価されるアーティストが生まれています。
代表的なのが、矢部直、ラファエル・セバーグ、松浦俊夫によるユニット「U.F.O. (United Future Organization)」です。
彼らはジャイルス・ピーターソンの「Talkin' Loud」と契約し、世界的な評価を獲得しました。
また、ボーカリスト、フルート奏者としてMonday満ちるもシーンの「歌姫」として活躍しましたね。
そして、日本でのアシッドジャズは「渋谷系」ムーブメントと密接に関連し、相互に影響を与えました。
どちらも「DJカルチャー」や「レコード収集」、そして「60〜70年代の音楽(ジャズファンク、ボサノバ、ソフトロックなど)の再評価」を基盤としていた点で共通しています。
Pizzicato FiveやFlipper's Guitarといった渋谷系のアーティストにとって、アシッドジャズは「最新のクラブサウンド」という「お洒落な素材」の一つとして機能したわけです。
英国では「アシッドハウスへの反骨」として生まれた側面がありましたが、日本では「渋谷系」という、より大きなファッション/カルチャー・ムーブメントの「重要な構成要素」として受容されました。
この「お洒落」な音楽という文脈が、U.F.O.のようなラウンジ寄りの独自なサウンドを生んだ土壌とも言えそうです。
90年代のファッション
アシッドジャズは単なる音楽ジャンルではなく、ストリートの「ライフスタイル」でもありました。
そのファッションも90年代を象徴するものですね。
アディダス、プーマ、カンゴールといったブランドのジャージ、スニーカー、ハットといった「レトロスポーツウェア」が好まれました。
これは70年代のB-Boy(ヒップホップ)スタイルや、UKの「カジュアルズ」文化の再解釈でもあったと考えられます。
そして何より、ジャミロクワイのボーカリスト「ジェイ・ケイ」のスタイルです。
彼の象徴的な「大きな帽子」(民族調の被り物や奇抜なデザイン)は、ジャンルの「顔」としてメディア(特にMTV)を通じて世界中に拡散され、90年代のカルチャー・アイコンとなりました。
「ダサい」は本当?現代の再評価
アシッドジャズは「ダサい」と言われることがあります。
これは一体どういうことなのでしょうか。
なぜ「ダサい」と言われたのか
この背景には、いくつかの要因が考えられます。
- 過剰な大衆化と陳腐化
90年代後半、ブームのピークが過ぎると、本来のアンダーグラウンドな熱が失われ、「お洒落なカフェや美容室のBGM」「ラウンジ・ミュージック」として安易に大量消費され尽くした側面があります。 - ファッションの時代性
音楽と強く結びついていたファッション(特にジェイ・ケイのスタイル)が、2000年代に入ると「90年代の象徴」として時代遅れと見なされ、音楽自体も「古いもの」という印象を与えました。
現代の再評価(リバイバル)
しかし、2020年代に入り、アシッドジャズは再評価の時期を迎えています。
まず、音楽・ファッションの両面での「90年代リバイバル」の潮流の中で、当時のサウンドやスタイルが再び「クール」なものとして発見されています。
また、アシッドジャズが再評価した「70年代ソウル/ファンクの生演奏のグルーヴ」という土壌は、90年代後半のディアンジェロやエリカ・バドゥといった「ネオソウル」のアーティストたちへと確実に受け継がれました。
そして現代、トム・ミッシュ、サンダーキャット、クルアンビンなど、生演奏のグルーヴとジャズ/ソウルの要素を洗練された形で融合させるアーティストたちが人気を博しています。
彼らの音楽性の「源流」として、アシッドジャズが再び注目されている、というわけです。
まとめ:アシッドジャズの魅力

最後に、この記事で掘り下げてきたアシッドジャズの魅力とポイントをまとめておきます。
- アシッドジャズは伝統的なジャズの演奏スタイルではない
- 1980年代後半のロンドンで生まれたムーブメントである
- DJカルチャーとクラブシーンが母体となっている
- ジャズ、ファンク、ソウル、ヒップホップが融合している
- ヒップホップの手法(サンプリング)が大きな特徴
- 生演奏のバンドとDJが共存・影響し合った
- 名称は「アシッドハウス」へのカウンターとして生まれた
- 名付け親はDJのジャイルス・ピーターソンとされる
- レーベル「Talkin' Loud」がムーブメントを確立させた
- 御三家はジャミロクワイ、インコグニート、B.N.H.
- ジャズファンク(70年代)はアシッドジャズの元ネタ
- ダンスフロアでの機能性(グルーヴ)が最優先された
- 日本へは90年代初頭に伝わり「渋谷系」と相互影響した
- U.F.O.やMonday満ちるが世界的に活躍した
- 一時はBGMとして消費され「ダサい」とも言われた
- 現代では90年代リバイバルや新世代アーティストの源流として再評価されている










