ジャズ発祥の地はニューオーリンズ?起源を解く

ジャズ発祥の地はニューオーリンズ?起源を解く

ジャズを聴いていると、この音楽が一体どこで生まれたのか、そのルーツに興味が湧いてきますよね。

ジャズの発祥の地といえば、多くの人がアメリカのニューオーリンズを思い浮かべるかもしれませんが、では「なぜ」そこだったのでしょうか。

ジャズの歴史を紐解くと、コンゴ・スクエアでのリズムや、ストーリーヴィルという地区の存在など、さまざまな要素が浮かび上がります。

また、アメリカ以外、例えば日本におけるジャズの受容のあり方も気になるところです。

この記事では、ジャズの発祥の地が「どこ」なのか、そしてその背景にある複雑な歴史と文化の融合について、私の視点で詳しく掘り下げていきます。

  • ジャズの発祥地がニューオーリンズとされる決定的な理由
  • ジャズを生んだ「文化的るつぼ」の背景
  • ストーリーヴィルやコンゴ・スクエアが果たした役割
  • ジャズの発祥に関するさまざまな説と日本のジャズ
目次

ジャズ発祥の地はニューオーリンズ

ジャズ発祥の地はニューオーリンズ

ジャズの誕生について語る上で、ニューオーリンズという都市は欠かせません。

ここでは、他のどの都市でもなく、なぜニューオーリンズがジャズの発祥の地となったのか、その文化的・社会的背景を詳しく見ていきましょう。

なぜニューオーリンズが発祥地なのか

ジャズは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、アメリカ・ルイジアナ州ニューオーリンズのアフリカ系アメリカ人コミュニティで生まれた音楽である、というのが学術的なコンセンサスとなっています。

もちろん、ジャズを構成する要素、例えばブルースやラグタイムといった音楽は、他の都市でも生まれています。

ミズーリ州セントルイスはラグタイムの中心地でしたし、テネシー州メンフィスはブルースの故郷として知られています。

しかし、ニューオーリンズが決定的に違ったのは、それらの要素が「単独で存在した」のではなく、アフリカのリズム、ヨーロッパのハーモニー、カリブ海のシンコペーション、スピリチュアル(黒人霊歌)、マーチングバンドの楽器編成といった、ありとあらゆる音楽的伝統が「同時に存在」し、それらが融合する社会的環境があった、という点です。

他の都市がジャズという料理の「材料」を供給した場所だとすれば、ニューオーリンズはそれら全てを調理した「キッチン」であった、と考えると分かりやすいかもしれませんね。

文化のガンボと呼ばれる歴史的背景

ニューオーリンズがなぜそれほど多様な文化を持つに至ったのか、それはこの都市の複雑な歴史にあります。

「ガンボ」とはニューオーリンズの有名な郷土料理で、さまざまな具材を煮込んだスープのことですが、まさしくこの都市の文化を表す言葉と言えます。

1718年にフランス領として設立されたニューオーリンズは、その後スペイン領となり、再びフランス領を経て、1803年にアメリカ合衆国の一部となりました。

この歴史から、アメリカの他の多くの都市がプロテスタント・英語圏の文化だったのに対し、ニューオーリンズはカトリック・フランス語圏の「クレオール」文化という根本的に異なる背景を持っていました。

さらに、ミシシッピ川河口の港湾都市という地理的条件が、この地を文化的るつぼ(メルティング・ポット)にしました。

フランス系、スペイン系、アフリカ系(奴隷として連れてこられた人々や自由有色人種)、カリブ海やラテンアメリカからの人々、さらにはアイルランド系、ドイツ系、イタリア系といったヨーロッパ移民まで、実に多様な人々がこの都市で近接して生活していたわけです。

この環境こそが、ジャズという新しい音楽が生まれるための土壌となったと考えられます。

ルーツとなったコンゴ・スクエアの音楽

ジャズの発祥を語る上で、コンゴ・スクエアの存在も欠かせません。

ここはジャズという音楽が「直接生まれた場所」ではありませんが、その最も深い「根」が育まれた場所とされています。

1817年の市条例により、コンゴ・スクエアは日曜の午後、奴隷たちが法的に集会を許可された唯一の場所となりました。

彼らはここで、故郷アフリカの太鼓を叩き、歌い、ダンスを実践したのです。

これは単なる娯楽ではなく、彼らの精神的な実践であり、コミュニティの結束を強める場でもありました。

19世紀半ばまで、この場所でアフリカ特有のポリリズム(複数のリズムが同時に進行する)の文化的記憶が世代を超えて保持され続けました。

ジャズそのものはここで生まれませんでしたが、ジャズをジャズたらしめるアフリカ由来のリズミカルな感性は、コンゴ・スクエアによって維持され、後のジャズの「種」となったというわけです。

クレオール文化とジム・クロウ法

ジャズ誕生の直接的な引き金となったのは、ニューオーリンズの複雑な社会構造の変化でした。

当時のニューオーリンズには、大きく分けて二つのアフリカ系コミュニティが存在したと考えられています。

一つは、ヨーロッパ(特にフランスやスペイン)の血を引き、ヨーロッパ式のクラシック音楽の教育を受け、読譜能力も高かった「クレオール・オブ・カラー」(自由有色人種)と呼ばれる人々です。

彼らはダウンタウンに住み、奴隷化されたアフリカ系アメリカ人とは異なる、特権的な中間的地位を持っていました。

もう一つは、「アップタウン」に住む、解放奴隷を含むアフリカ系アメリカ人たちです。

彼らの音楽はアフリカの口承伝統に深く根ざし、楽譜に頼らず耳で覚える、即興的で感情的な「ホット」なスタイル(ブルースやスピリチュアル)を特徴としていました。

1890年代以前、この二つのコミュニティは明確に分離されていました。

しかし、1890年代に入り、「ジム・クロウ法」(人種隔離法)が施行されると状況は一変します。

「一滴でもアフリカ人の血を引く者」は法的に「黒人」と再分類され、クレオール・オブ・カラーは特権的地位を剥奪されてしまったのです。

この社会的な悲劇が、ジャズ誕生の直接的な触媒となりました。

ヨーロッパの音楽理論と技術を持つクレオールのミュージシャンたちが、生活のために、それまで交流することのなかったアップタウンのブルース・ミュージシャンたちと、一緒に演奏することを余儀なくされました。

この「強制的融合」こそが、ヨーロッパの洗練されたハーモニーと、アフリカの即興的でリズミカルなブルースの感情を直接的に衝突させ、ジャズという全く新しい音楽言語を生み出したのです。

ブルースやラグタイムとの融合

このようにして、ニューオーリンズという「キッチン」で、さまざまな音楽要素が融合していきました。

  • ブルース
    ジャズの核となる感情表現とハーモニー構造(ブルー・ノートやコール&レスポンス)を提供しました。
  • ラグタイム
    当時流行していたピアノ音楽で、そのシンコペーション(リズムのずれ)がブラスバンドに取り入れられました。
  • マーチング・バンド
    南北戦争後に流行したブラスバンドは、ジャズの標準的な楽器編成(コルネット、トロンボーン、クラリネット、ドラムスなど)の直接的な基礎となりました。
  • カリブ海とアフリカのリズム
    ニューオーリンズが他の都市と一線を画す最大の要因です。特にアフロ・キューバン(ラテン)のリズム、とりわけ「ハバネラ」のリズムが、ジャズ特有のシンコペーションの基盤になったと指摘されています。

ジャズは、これら多様な音楽が、ニューオーリンズ独自の社会的背景の中で混ざり合って生まれた、まさに「ガンボ」のような音楽と言えますね。

ジャズの音楽的な特徴や、その背景にある理論について、より体系的に知りたい方もいらっしゃるかもしれません。

ジャズを構成する要素や独特のリズムについては、以下の記事で詳しく解説していますので、ぜひご覧ください。

ジャズ発祥の地に関するさまざまな説

ジャズ発祥の地に関するさまざまな説

ニューオーリンズが発祥の地であることは広く認められていますが、ジャズの歴史にはいくつかの興味深い説や、よくある誤解も存在します。

ここでは、そうしたさまざまな説や、関連するトピックについて検証してみましょう。

ストーリーヴィルで生まれたというのは誤解?

ジャズの歴史で最も有名な神話の一つに、「ジャズはストーリーヴィルの売春宿で生まれた」というものがあります。

しかし、これは現在では事実ではない、という見方が一般的です。

ストーリーヴィル(または "The District")は、1897年から1917年までニューオーリンズで合法的に運営された公認の歓楽街(赤線地区)でした。

ジャズの音楽的な形態は、この地区が設立される以前から、すでにニューオーリンズのさまざまな地区で育まれていました。

したがって、ストーリーヴィルが「発祥の地」というのは誤解と考えられます。

では、ストーリーヴィルが果たした真の役割とは何だったのでしょうか。

それは「発祥の地」としてではなく、「インキュベーター(孵卵器)」としての役割です。

この地区の無数のバーやダンスホールは、バディ・ボールデンやジェリー・ロール・モートンといった初期のジャズ・ミュージシャンたちにとって、安定した雇用の場であり、夜通し演奏技術を磨き、音楽的実験を行う格好の舞台となりました。

さらに重要なのは、この歓楽街が、ジャズという新しい音楽を、地元住民だけでなく旅行者や市外の聴衆にも「暴露」し、その人気を広める窓口となった点です。

1917年、第一次世界大戦中に米海軍の要請でストーリーヴィルが閉鎖されると、多くのミュージシャンは主要な仕事場を失いました。

これは、彼らが新たな職を求めてシカゴなど北部へと向かう「グレート・マイグレーション(大移動)」の大きな要因(プッシュ要因)の一つとなったのです。

最初の録音は白人バンドだった

ジャズの歴史における最大の皮肉の一つが、録音に関する事実です。

ジャズはアフリカ系アメリカ人のコミュニティで創造された音楽ですが、歴史上初めて「ジャズ」として録音され、商業的に大ヒットしたのは、ニューオーリンズ出身の白人ミュージシャンによるバンドでした。

そのバンドは、「オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド(Original Dixieland Jass Band, ODJB)」です。

彼らは1917年2月26日にニューヨークで「Livery Stable Blues」を録音しました。

このレコードは世界で初めてリリースされたジャズ・レコードとなり、センセーショナルな大ヒットを記録します。

この録音が、アメリカ全土、さらにはヨーロッパに「ジャズ・クレイズ(熱狂)」を巻き起こし、1920年代の「ジャズ・エイジ」の幕開けを告げました。

この成功は、ジャズという新しい音楽の存在を世界に知らしめると同時に、ジャズの歴史における「文化的オリジネーション(アフリカ系アメリカ人)」と「商業的普及(白人ミュージシャン)」の間の複雑な力学を初期から示すものとなりました。

ジャズがニューオーリンズで生まれ、最初の録音を経てどのように世界へ広がっていったのか、その歴史全体の流れに興味がある方には、ジャズの起源から現代までの変遷をまとめたこちらの記事もおすすめです。

「JAZZ」という言葉の起源

「音楽ジャンルとしてのジャズ」の発祥の地はニューオーリンズですが、「ジャズ(jazz)」という「言葉」の起源は、別の場所にある可能性が指摘されています。

現在知られている最も初期の使用例の一つは、音楽とは関係のない、1913年のサンフランシスコの野球界に遡ると言われています。

当時のスポーツライターが、マイナーリーグ球団の春季キャンプの様子を伝える記事の中で、選手の「元気」「活力」「熱意」といった意味を表す俗語として「jazz」という言葉を使用した、という記録があるそうです。

この「活気」や「エネルギー」を意味する俗語が、後にニューオーリンズからシカゴやニューヨークにもたらされた、新しく活気のある音楽を指す言葉として転用された、というのが有力な説の一つとされています。

フランス民族音楽起源説とは

ジャズの起源については、主流の学説とは異なる見解も存在します。

その一つに、ジャズの起源をフランスの民族音楽に求める説があります。

この説は、ジャズの起源は従来言われる「アフリカ音楽と西洋音楽の融合」ではなく、主にフランスの民族音楽(ケイジャン、シャンソン、ミュゼットなど)にあり、アフリカ音楽の要素は薄いのではないか、と主張するものです。

その根拠として、ニューオーリンズが歴史的にフランスの植民地であったことや、ジャズの最初の商業的録音(ODJBによる白人バンドの演奏)が、フランスの民族音楽に似ていると感じられることなどが挙げられています。

しかし、この説はジャズの核心をなすブルースの圧倒的な影響や、コンゴ・スクエアで保持されたアフリカのリズム、そして初期のジャズに見られるアフリカ由来のハバネラ・リズムといった、決定的な証拠を説明することが難しいとされています。

ジャズにおけるヨーロッパ音楽(フランスのハーモニーやクレオール文化)の影響はもちろん重要ですが、この説はジャズの一部の要素と、真の起源(アフリカ系アメリカ人による融合)を混同している可能性がある、というのが現在の一般的な見解のようですね。

日本のジャズ発祥地はどこ?

ここまでアメリカにおけるジャズの発祥について見てきましたが、視点を変えて、私たちにとって身近な「日本のジャズ発祥地」はどこかご存知でしょうか。

これには諸説ありますが、一般的に横浜神戸が二大有力候補とされています。

どちらの都市にも共通しているのは、国際貿易港として古くから開かれ、海外の文化が真っ先に入ってくる玄関口であったという点です。

1920年代初頭には、豪華客船のバンド(フィリピン人ミュージシャンが多かったと言われます)などを通じてジャズが持ち込まれ、ダンスホールなどで演奏され始めたと考えられています。

特に神戸は、日本初のプロジャズバンドとされる「井田一郎とチェリーランド・ダンス・オーケストラ」が1923年に結成された地としても知られています。

ニューオーリンズがジャズという音楽を「創造」した発祥の地であるならば、横浜や神戸は、それを受容し、日本独自のジャズ文化へと発展させていった「発祥の地」と言えるかもしれません。

日本でジャズがどのように受け入れられ、発展していったのか。

日本のCMやJ-POPなどで使われる身近なジャズの有名曲に興味がある方は、こちらの記事も参考にしてみてください。

ジャズ発祥の地を巡る旅の結論

ジャズ発祥の地を巡る旅の結論

この記事では、ジャズの発祥の地がどこなのか、そしてなぜニューオーリンズでなければならなかったのかについて掘り下げてきました。

最後に、今回の結論となるポイントをまとめておきます。

  • ジャズの発祥の地はニューオーリンズである
  • 19世紀末から20世紀初頭にアフリカ系アメリカ人コミュニティで生まれた
  • ニューオーリンズは多様な文化が混ざり合う「文化的るつぼ」だった
  • 他の都市は材料の供給地、ニューオーリンズはキッチンに例えられる
  • コンゴ・スクエアはジャズの「根」となるアフリカのリズムを保持した
  • クラシック教育を受けたクレオール・オブ・カラーがいた
  • ブルースの伝統を持つアップタウンのアフリカ系アメリカ人がいた
  • ジム・クロウ法(人種隔離法)が二つのコミュニティを強制的に融合させた
  • この融合がジャズ誕生の直接的な引き金となった
  • ブルース、ラグタイム、マーチ、カリブ海のリズムなどが融合した
  • ストーリーヴィルは発祥地ではなく「孵卵器」として機能した
  • 最初のジャズ録音は白人バンドODJBによるものだった
  • 「JAZZ」という言葉はサンフランシスコの野球界が起源という説が有力
  • フランス民族音楽起源説は主流の見解ではない
  • 日本のジャズ発祥地は横浜や神戸が有力とされる
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